意外と健康だから、これは長い道のりだけど、その前にあの人やあの人のように爆発したくなる気持ちもわかる。
いやまぁ、強烈な恨みをぶちかますような攻撃対象なんかないから何もしないけど。
たぶん、倒れてごみ部屋に埋もれて、部屋の染みになるくらいだと思う。周囲の部屋の人には申し訳ない。
あ、でも隣はタバコ吸うセックスの声がデカい女だから別にいいか。人にタバコの臭い嗅がせた分、人が腐る時の腐敗臭を味わえばいい。
飯も食えんし、体調ずっと悪いし、なんだろうね。
30代後半のおっさんが構ってちゃんやっても仕方ないのだが、孤独だ。
誰も気にかけてくれないというのには耐えられない。
何か種々雑多、様々なものから目を背けてきた結果だよ。
何にもならない人生を歩んでしまった。
どれだけ貴重で素晴らしい経験をしようとも、その後には何の役にも立たない。ただ1人の人間がそうして生きたことには何の価値もないのだから。
職を転々としようが、海外に住もうが、色々な場面で真剣に努力をしようが、何にもならなかった。何にもなっていない。
ただただ、挑戦させてもらえるチャンスをもらっただけだし、目の前にあるものをやったに過ぎず、自分で手にしたものは何もなくて、それがその人間の希少性の限界であるし、それがこの今の生活に如実に表れている。
評価してもらえないことというのは、自分で如何に認めようが社会において何の価値も生み出していないということ。
社会という枠組みの中で生かしてもらい、ただその中で生きていたということ。
別に生きていても迷惑をかけない(程度に働くことで社会参加させてもらっている)に過ぎない。
世の中に対して何も生み出していないんだな。自発的に、何か価値のある物を提供できる人間じゃない。社会に対する責任を果たしていない。
何を提供できる?
例えばわかりやすいその評価指標の一つは金だし、また名声であり、地位だろう。
そうでなければ子孫というものを生み出し次に繋げると。
それ以外は、その一部の価値ある存在を支える裏方に過ぎない。それはだから、いてもいなくても良い。支える程度のことはみんな子孫を生み出した片手間でもできることだから、これだけを真剣にやるのは片手落ちというか、そんなにいなくてもいい存在だ。
支えるという作業をこなすのは、価値を生み出す権利を担保するもの、自分の生み出したものの価値を認めてもらう手段の一つであるようにも思える。
とどのつまりは、ひねた性格のショボいおっさん1人がどうなろうと世界はそれほど気にしないということ。
惜しまれることなく、例え事故に遭っても新聞の片隅に死亡1名と小さく書かれるか、最悪書かれることもない。記者次第。
今、例えばマジにコロナになったり倒れても、本当に誰も気づかなそう。
だって、体調崩して仕事の精度がこれだけ落ちていても気にされないくらいだから。
友人も、自発的に誘ってくれる人はついに1人もいないわけで。
家族にも、こんなに存在を軽視されるとはね。
それはつまり、人に対してそれだけ誠実でなかったということなんだろうな。鏡だもんね。
身から出た錆。
だから同情もされないが、そんなことはわかってるが、淋しいわ。本当に。
どうしてこんな人生になったのか。