なんだろうか、またもやダシに使われたという感じが否めない。苦労するの俺ばっかりじゃねぇかよ、なぁ。練習もせんでゲームばっかやっとったらしいじゃねぇか。
まぁ話を持ってきてネタを決めて集客してをしてくれてるから及第点か。ただ、制作は俺だし練習も遠かった。当日まで知らん情報も多いし、人は紹介されとらん。
当日は間違いなく形を作り上げていると思うんだが、まぁただしかし、俺がいなくても成り立つだろう。クオリティは知らんが、それで喜ぶ程度の人らだから別に良いだろう。
…あれ、さては俺いる意味ねぇな、これ。
何の意味もない、価値もないことに時間だけ使ってるとなると、なんなのだろうか。人生がそろそろもったいない。
何度も言ったかもしれんが、自分のために生きるべきよ。気力も体力も、もうもはやギリギリじゃないか。
社交性には限りがあり、限界まで使って疲弊している。人が嫌いになる。
優しい光もいくつかあるけどね。久々に嬉しい再会もあったさ。反面哀しいんだが。
世の中は、何も考えていない方が出世するという記述に対し、とても納得してしまったからやるせ無い。上に盾突く弱き立場の愚かな賢人よりは、同じ弱いながら素直に教えを乞い気に入られる凡人の方が良いに決まっている。成れの果ては何もできないトップになるのだが、その頃にはそれがあまり関係なくなっているだろう。世渡り下手は凡人に劣るのだ。
そして別にその賢人自称に過ぎぬ井の中の蛙であり、大海の中では容易に溺死という結末を辿る。ただ五月蝿い蛙が人知れず息絶えるのみであり、世に何ら影響を及ぼすことはない。
閑話休題。
友と思しき者達は、その実、特に友ではなく、必要に応じてオンコールで人を掻き集める存在に過ぎない。用が済めば連絡は絶える。
今まさに一つの用が過ぎ去ったところであり、しばらく連絡が来ることはないだろう。一時が経過し、また利用価値が出た際には恭しく連絡が来ることであろう。
常日頃から時を共に過ごす友に憧れたが、ついぞ、成し得なかった。その程度の人間なのである。
何も表現できないのも無理はない。表現できるほどのことがない。
こんなところか。冷めやらぬ悲しみで溢れている。