朝が来るのは恐ろしいことだ。迎えたくない朝もある。
結局のところ、変わらないのである。12年前道を外したあの日から、何も成長していないのである。
金さえあればちっとは幸せになれるのかなと思ったが、そんなことはない。金は手段ではあるが、幸せを買うためのものではない。売ってる幸せはない。
負け続けて今があるのを感じる。勝てない脇役。
衰えた筋肉と、肌と、体力と。
何を食べても感動しない舌と。
何を見ても感じない目と。
記憶に乏しい触覚と。
忘れゆく一方で新鮮さを感じることもなく、新たなものを手に入れる力がない。
手元にあるのは何にも活かすことのない金。
それは決して富ではない。
富も名声もない。
物語の主人公はもはや全て歳下である。やり直しのチャンスも感動も何もない平々凡々な日々。
生きているのが楽しいか?
何のために生きる?
答えはもうない。
いつかのためにという、その"いつか"はついぞ来ることがなかった。
未来はもうない。
辛い。辛すぎる。
今死ぬとして、
何を思うか。
何も為していないのは間違いないとして、自身を幸せにすることもなく生きてきた。
一生に一度の、という楽しみは何かあっただろうか。
5月を迎えることは、朝を迎えることの比じゃないくらいだ。3周回った人生、昔の寿命に近く、衰えを感じ始めた今が終わりにはちょうど良い。
消えたとて、継続的に悲しむ者のいない今が良いのだ。もちろん一瞬は惜しむ程度の家族友人知人はいるだろうが、別にもう交流は乏しく、「あぁ、あいつ死んだのか」くらいになるんだよ。毎日会っているわけではないからどうでも良いだろう。