30代独身「無論、持論」

元大卒フリーター。あらゆることに手を出した結果、何もできない人になった。

朝を迎える

朝が来るのは恐ろしいことだ。迎えたくない朝もある。

結局のところ、変わらないのである。12年前道を外したあの日から、何も成長していないのである。

 

金さえあればちっとは幸せになれるのかなと思ったが、そんなことはない。金は手段ではあるが、幸せを買うためのものではない。売ってる幸せはない。

 

負け続けて今があるのを感じる。勝てない脇役。

 

衰えた筋肉と、肌と、体力と。

何を食べても感動しない舌と。

何を見ても感じない目と。

記憶に乏しい触覚と。

 

忘れゆく一方で新鮮さを感じることもなく、新たなものを手に入れる力がない。

手元にあるのは何にも活かすことのない金。

それは決して富ではない。

富も名声もない。

 

物語の主人公はもはや全て歳下である。やり直しのチャンスも感動も何もない平々凡々な日々。

 

生きているのが楽しいか?

何のために生きる?

答えはもうない。

いつかのためにという、その"いつか"はついぞ来ることがなかった。

未来はもうない。

 

辛い。辛すぎる。

 

今死ぬとして、

何を思うか。

何も為していないのは間違いないとして、自身を幸せにすることもなく生きてきた。

 

一生に一度の、という楽しみは何かあっただろうか。

 

5月を迎えることは、朝を迎えることの比じゃないくらいだ。3周回った人生、昔の寿命に近く、衰えを感じ始めた今が終わりにはちょうど良い。

 

消えたとて、継続的に悲しむ者のいない今が良いのだ。もちろん一瞬は惜しむ程度の家族友人知人はいるだろうが、別にもう交流は乏しく、「あぁ、あいつ死んだのか」くらいになるんだよ。毎日会っているわけではないからどうでも良いだろう。