冗談みたいな人生が歩めるのではないか。
何を拘っているのかと問えば、世間体とか自分で決めたルールに過ぎないのだと思う。
本質は、人という生物としての責任として子孫を残すことに他ならず、富や名声はそれを有利に達成するための手段である。
このうち富であるお金は人間社会の中で生きるための、およそ一般的な手法である。
また、人間としての社会的責任として何かを享受するためには長らく労働というものを軸に置いていたが、これは価値提供でも良いのではと近年は思う。多くの場合、この社会的責任を果たすことにより対価を得ることができるのだが、金銭に限って言えば特に限定されることはない。対価は社会的地位であり、信頼であることもある。
生き残るには健康・体力が必須条件であり、これは自己研鑽として最低限にして最重要である。
拘りを捨てたら。
良い遺伝子を後世に遺すことが生物的責任における最重要課題であることを考えた時に、どうだろう、そこには社会性も何も不要なのでは。
一要素に過ぎない何かを気にすることなく、自己の遺伝子と、遺すべき相手の遺伝子のみが条件ではないか。
この、およそ社会的責任においては認められない考え方であっても、覚悟のもと、決断ができればそれは生物としては正しいのではないかと思う。
2ヶ月間の葛藤の末の結論は、しかし、遅過ぎたのかもしれないが。。