気づいてはいけない、目を背けていた事実にとうとう気づいてしまったような気分。
あいつは、趣味も、飯の好みも、性欲もぴったりで、かつ見た目も好みであったし、人の趣味を否定せず、優しく、しかし賢く、力強かった。健康であった。
たった一つ、家庭環境だけが問題であったが、よく考えれば本人にはまるで問題がなかったんだ。
じゃあ当時の俺が何かしてやれたかって言えばそんなことはなく、幸せにすることはできなかった。それだけ能力不足だったし何も考えずに生きていた。そしてそこから離れたからこそ次のステップが踏めて、海外に行くことができ、英語というおよそ自力では取得不可能であった能力を手に入れることができたわけだ。向こうは向こうで幸せになった。
が、こちらの代償はあまりに大きい。
俺は、なんだろう、キチンと先のことを考えて冷静に人を判断することができなかったし、それは今もできないのかもしれない。
ごく合理的に考えれば今の存在はパッと切り捨てて次に行くべきだ。人の悪口ばかりを言い、趣味を否定し、了見は狭く、自らを磨かず、感覚のみに頼った偏見を持ち、一方で自身への指摘には聞く耳を持たぬ人間と過ごす時間はもったいない。
だがそれが出来ぬのだ。
一方で、ごく短絡的・衝動的に捉えれば、この前の苦渋の判断は逆を取っていただろう。いきなり望みが一つ叶っていたかもしれない。
38に、切り拓かれるらしいな。
それは本当なのかもしれない。
だとすると、ケリをつけることがたくさんある。まず計画表を書くべき。合理的かつ短絡的・衝動的に行動すべきだ。足りぬ能力。
人の資質などと言ってられないフェーズなのだよ。