30代独身「無論、持論」

元大卒フリーター。あらゆることに手を出した結果、何もできない人になった。

生きながらえて死んでいる

生きているけど、死んでいる。

 

体力もメンタルも死んでいるし、回復の兆しが見えない。

 

仕事はできるようになっている、というわけではない。あんなもん、やりゃ誰でもできるだろ。できねぇ奴が頭悪いだけだ。だから特段すごいわけではない。

 

服は、金をかければいいもんが買える。そのことにあまり価値はない。

 

新しいことを始める気力が湧かない。

 

新しい女を探しに行くモチベーションがない。

 

筋トレに対してもやる気が起きない。(やるけど)

 

趣味も死んでる。やる意味がわからなくなっている。

 

物を覚えるスピードが落ちている。

 

身体の回復が遅い。飲んだ後、寝ても回復しない。

 

本を読めない。

 

片付けられない。

 

こうして人間は老けていくんだと実感する。やる気のなさから来るんだろう。

 

 

休みが欲しいが、取るモチベーションがない。

つらい

何もしてないのに朝になるのは辛すぎる…

 

結局死ぬことはできなくて生きてしまっている。死ぬのめっちゃ怖かった。無理だった。死ねる人すごすぎる。なんだその覚悟。

 

仕事と金は順調になってきてるが、当たり前だよ、次のステージに行く人基準の金は独り身には十分すぎる。

仕事できるようになってできるはずの余裕は普通は家庭を守るために使われるんだろうが、俺にとってはただ恐れをなして暇潰しに使うしかない時間。

 

それでも本当は前向きなことをしたい。

筋トレして身体鍛えて、セックスの機会を作ったり。

楽器練習して、音を奏でたり。

勉強して、資格を取ったり。

仕事ではなく働いて、ビジネスを作ったり。

 

行動してその先にある何かに出会いたい。

前を向くために時間を使いたい。

 

が、つらいんだ。前を向くには疲れている。

負の循環から抜け出せない。

誰か助けてほしい。

人頼みができるフェーズも終わってしまった。

 

友人愛人家族、皆が結局のところ他人なのてある。助けを乞うものではない。それはよく知っている。

朝を迎える

朝が来るのは恐ろしいことだ。迎えたくない朝もある。

結局のところ、変わらないのである。12年前道を外したあの日から、何も成長していないのである。

 

金さえあればちっとは幸せになれるのかなと思ったが、そんなことはない。金は手段ではあるが、幸せを買うためのものではない。売ってる幸せはない。

 

負け続けて今があるのを感じる。勝てない脇役。

 

衰えた筋肉と、肌と、体力と。

何を食べても感動しない舌と。

何を見ても感じない目と。

記憶に乏しい触覚と。

 

忘れゆく一方で新鮮さを感じることもなく、新たなものを手に入れる力がない。

手元にあるのは何にも活かすことのない金。

それは決して富ではない。

富も名声もない。

 

物語の主人公はもはや全て歳下である。やり直しのチャンスも感動も何もない平々凡々な日々。

 

生きているのが楽しいか?

何のために生きる?

答えはもうない。

いつかのためにという、その"いつか"はついぞ来ることがなかった。

未来はもうない。

 

辛い。辛すぎる。

 

今死ぬとして、

何を思うか。

何も為していないのは間違いないとして、自身を幸せにすることもなく生きてきた。

 

一生に一度の、という楽しみは何かあっただろうか。

 

5月を迎えることは、朝を迎えることの比じゃないくらいだ。3周回った人生、昔の寿命に近く、衰えを感じ始めた今が終わりにはちょうど良い。

 

消えたとて、継続的に悲しむ者のいない今が良いのだ。もちろん一瞬は惜しむ程度の家族友人知人はいるだろうが、別にもう交流は乏しく、「あぁ、あいつ死んだのか」くらいになるんだよ。毎日会っているわけではないからどうでも良いだろう。

立ち行かない

今のこの人生で年収が1000万円超えたとて何の価値があるというのだろうか。守るものの何もない人生だ。

 

家庭を持つことも許されなかった。いや、それも別にゴールではなく、結婚しても子供ができても破綻する場合もあるからそこにも安定がないのは知っている。チャレンジすらできなかったのだが。

 

趣味は、焼き回しに過ぎない。誰に評価されるわけではないから、飽きがきたならもはや何にもならない。個人で楽しむものも発表するものも。

 

人生の価値がわからなくなってしまった。最初からわかっているわけではないが。

 

これは昔、限界がきたなら命を絶とうと決意した、その時が来てしまったのではないか。ともすれば、全てを投げ打ち、終わりに向かうその日が来たということだ。幸いにして世界一周するくらいの貯金はある。

 

堅実に歩むとか、なぜ普通の人が普通にできることができなかったのか。何も手にすることができないのは当たり前だ。

 

気づきたくなかった、恐らく人生最良であった過去の人は堅実な人間とともに幸せに生きているようだ。俺にとってもその後の人生にも大事な出会いやら局面があったからあの時身を固めるというのはない選択肢ではあるが、事ここに至るとやはり何にも価値がないと考えられる。この、何も成していない人生の中でその人が歩んできた道に何の意味があろうか。ある日突然死んでしまう男性Aである。

 

このままいくと、ゴールデンウィークの最後には衝動的に命を絶つ可能性がある。それでいいと、思ったその時。マンションのベランダから落ちるだけだ。確実に助からない。

急性ストレス

腹減ってんのか眠いのかなんなのか、ちょっとよくわからん状態。

過剰なストレス状態だ。きっつい。

原因は完全に仕事にあるんだが、これはもう、解消されようがない。クソどもがと言いたいけど、言ったところでクソはクソのままなので如何ともしがたい。

仕事なんてのは、できない方が幸せなのかもしれない。頭も良くない方が世の中を知らんまま幸せに生きていけるんじゃないか。

クソもミソも同様に報酬を得られる世界では、クソである方が楽だし幸せだろう。

何事も気づかず、頭を使わず、そうして生きた方が絶対楽だろ。何だこれマジで。

努力とか何とかってのは、方向性が違う時点で何の役にも立たねぇ。

 

金稼げるとこに行った方がマシなんか。それはそれで人間関係ヤバそうではあるが。つまるところ、こちらの問題ではあるんだ。

 

どうしたら良いのか、生き方が苦しい。

袋小路

明らかに熱意が消えてしまっていることに焦らない自分に対して一番の焦りを感じる。これはなんと、昔想ったつまらない、くだらない人間ではないのか。

 

新しいものにワクワクすること少なく、惰性でドラマを観て漫画を読み耽り、しかし時間の必要な映画は観ることなく、新しい音楽を取り入れず。

自ら発信することなくも少なくなり、それはあれだけ執着したSNSに対してもである。人との繋がりや賞賛を過度に求めることがなくなった。その対象者に遠く及ばず、勝てないことが明白だからである。

 

今の仕事に対して、時間をかけ綿密に計算され議論され、多くの力によって生み出されるそれに対して興味が小さくなっていることに驚いた。世の人は、当たり前にそこにあるそれがどれほどの力量と熱量で生み出されているかに価値を見出すことができず、もはや俺はそれをなんのためにやっているのかわからない。これも特段賞賛を得られることではないからだ。自己実現の最たるものは自らが価値を認めることにあると思ったが、それすら敵わぬとなればもはや何の意味もないことである。

 

転職するとて、では何をもって選ぶのか。もはや出遅れており、何らかのカリスマがあるわけでもないので大金や時間を得ることは難しい。夢を持ち生きることができない。

 

袋小路にいる、そんな春の昼下がり。

いいよ、とりあえず寝よう。