30代独身「無論、持論」

元大卒フリーター。あらゆることに手を出した結果、何もできない人になった。

眠い

疲れが取れん。こんな日に。

今までは元気がない日のいじけた心持ちで人が去ったことを書き綴ってきたが、事ここに来て数字に現れてそうなっていることがわかると、意外と納得して辛いということにはならないものである。

ただただ眠い。何の変哲もない1日で、土曜日なのである。

しばらくは前を向くのは難しいだろう。とりあえず休養したい。休みたい。何も考えず。ただただ。

 

 

捨てるものは捨て、真に使うものだけを残し。これは物も人も一緒なんだろうが、案外1人の持つキャパシティは小さく、殊に、人なんてものはごく少人数に限られるものだから、失われた脳細胞のように、千切れたシナプスのように、家族のあるものはそれ以外を強くは欲せず、あぶれた物も目に見える範囲での繋がりのみを求めるのだろう。利害の伴う場合が多く、そうでなければいちいち会ったり連絡をとり続けたりなんて手間を惜しむ。至極当然。

完全にゼロであることは求めず、蜘蛛の糸のように張り詰められたその僅かな繋がりを後生大事にする以外がないようである。

 

性欲もピタリと落ちたようである。読み返せばつい先日まで強欲の如く書き綴っていたものも今はその限りではなく、ただ横になっていたいという心持ちであり、これは疲労からくるものかそれとも減退からくるものか、判然としないのである。ただただ欲がない。

 

全てに目を閉じ、今日くらいは寝ることを許してほしい。

同じ話

今日は些か夜更かしではあるが、それはまぁ今日という日だからであって、実のところ少し落ち着きを見せ始めている。

いやさすがにそうであってほしい。いくらなんでも。

働く時間で苦にならないのは9時間台までであって、10時間を超えるとしんどさが段違いになるようだ。18時までに仕事を終えると夜の時間も早く、睡眠時間が確保できる。

 

ストレスで倒れることのなきよう。日々を楽しめるように。これにはやはり早く仕事を終えるということが大事なようである。

 

人生はまぁ、ここまで壊れてしまったからどうにもならんというのもあるが、勝手に諦めるのも変だし、もう少し気を休めてリハビリのような日々を過ごしたら新しいことを始めようかな。壊れたなりにも生きていかねばならない。

 

気づけば周りの人は一新されてしまったな。気を抜くと挑戦しない同じ日々が続く。歳を取るというのは同じということの繰り返しだそうだ。新鮮味にかける。情熱を失う。そうでありたくないんだがなぁ。

 

所信表明でもするか。後にするか。まずは禊だ。

小日記

いかに仲の良い友人であっても、長時間一緒にいるとさすがに嫌になる。

訂正を受け入れず、知識もなくそれを認めず、頑固な部分が強く出る相手に相対するのは厳しい。

 

後輩から受ける2次会のお誘いは至高である。最近ハマっているものを教えてくれるのもありがたいお話。イエスノーをはっきり言う人間だからこそ信頼ができる。

 

厚顔無恥な人間は、加齢ともに拍車がかかるらしい。彼はきっと何事もうまくいっていないのだろう。

最悪の評価

一生懸命にやっていることに対し、サボっている・適当なことをしているという評価をされることはなんと腹立たしいことか。

が、わかっている人はわかっている。その、適切な評価をしてくれる人こそ大切にすべきだし、その人らの信頼を裏切ってはならぬと、それだけには細心の注意を払うことを自戒の念として書き留めておきたい。

掴みかかったり殴ったりするのは想像上に留めておこう。相手は老人だから下手したら最悪冗談ではなく死んでしまう。それでは誰も得をしない。

クソジジイどもの、老い先の短いあのカスどもの言うことは放っておいたらいい。それはわかるが、どうにも腹が立つし、それを援護してくれる人がいない状況は辛くてたまらない。

 

だからこそ、今日、あの援護をしてくれた人々のことは決して忘れないようにしたい。あの言葉で救われる。おべんちゃらではなく、客観的な、しかし熱意のある言葉。

 

案外上司が弱腰であったのも期待外れで悲しいところではある。なんだろう、そんなに俺が悪いというならば俺はもう降りたい。もし自分の部下が理不尽に晒されることがあれば、それを守る立場に立ちたい。

 

思えば、援護したり守ったりする人というのは存外少なく、なんなら幻想なのかもしれない。皆、我が身のみ可愛く、自ら窮地に立ちに行く人は奇特であるのだろうか。

場合によっては、守ると口では言い、また守るフリをして追い詰める不届き者等もいる。万死に値する。

 

例え評価されなくとも真摯にやり、その中で正当な評価をしてくれる人を大切に、そしてもし援護・庇護してくれる人が現れたならば、その人のために恩返しができるようになりたい。

 

これが、自分の中の清い心だろう。大切にせねばならぬ。争いはあっても、他を傷つけ過ぎることのなきよう。

半年

人生が半年止まってしまったらしい。

 

その間に色々進んでるしコロナも終わりかけてるんだが、そういう世の中の機微は本当にどうでもよくて、いやコロナが終わることによって人々が出てきてどこも混雑するのは本当に嫌だが、とにかく止まっている間に歳を取り、取り残されている感じはとんでもない。

ただでさえ全力を出さねば人に追いつかないというのに。仕事なんかしている場合じゃない。

 

思えば、仕事をしている時間というのは、時間を切り売りして金を得るために過ぎず、人生の何にもならない時間だ。仕事は悪である。

そこになけなしの社会との繋がりや、それでしかなし得ない経験と実績があることも間違いじゃないが、仕事しかない人生など片手落ちどころか、そんなもんは人生じゃないと言いたい。

 

社会との繋がりの中にあり、家庭を持ち次世代に繋ぎ、自己を実現することにあるのでは。その自己実現の確立においては仕事が寄与するもの、それこそ仕事により達成し得るものもあるが、それ以外ができなくなるならば最終的に人生としては大したものにならない。

 

ありがたいことに俺の仕事は価値あるものを生み出し、後世に遺すことができるので自己実現に近い性質も持っているのだが、しかし他にも達成したいことはあるのだ。どうにかして、先に進めたい。

 

仕事が自己実現の一つである以上はそれを通してお金を得ることも良いのだが、自己実現に主軸を置くとやはり他を蔑ろにするわけにはいかず、その最低限のラインの報酬が残念ながら仕事における自己の価値であり、それはもうそれ以上でもそれ以下でもない。非常に残念なことに安い報酬しか得られないのが今の仕事である。

 

しかし、その一方で活用の仕方により時間の自由が利くのは間違いがない。よく考えれば、今の仕事で出世するよりは他で活躍し、新たな自己実現をすること、またもっと言えばそれにより報酬を得ることの方がよほど価値がある。今の仕事には限度があるからして、これはもうベーシックインカムなんだと割り切ればいい。

 

残業をしないと年齢の平均以下、大学を見れば下の下に落ち着くが、それは割り切るしかない。なんとか生きていけないこともない報酬でもある。それより残された時間が少ないのだから、この年齢における時間というものの方がはるかに価値が大きいと言えよう。

 

金は時間に勝ることは決してない。金に目がくらみ、時間を浪費することのなきよう。失った半年以上を、二度と失うことのなきよう。

理想の生活

その昔、思い描いていた理想の姿が見事に叶ったことがある。いや、わりとここまで叶ってきている。引き寄せの法則は馬鹿にできないと思っている。

 

理想の自分、なりたい自分とはなんだろうか。そこがまぁ当面の目指す先だし、気がついたら叶っているものになり得るわけだから真剣に夢想する必要がある。本気だ。

 

叶ってきたものと言えば、

・大学

・夜職

・海外生活

・理想の車(ボルボ)を乗り回す生活

・飛び回るノマドワーカー

・今の仕事

ってな感じだ。何に憧れてんだって感じだが、まぁいいんだ、ここまでなんだかんだと叶っている。

 

叶えたいものが叶っている姿はなんだろうか。俺はまぁ本当にしょーもない人間で、たぶん他の人が憧れないようなことに憧れを抱いたりしている。

 

が、しかしだ、いいんだ、そんなのは。自分が楽しければ良い。

 

とりあえずこの先は、

・憧れのあの業界の仕事

・もう一つの憧れてる業界の仕事

・居住先・拠点を複数持って飛び回る生活

 ⇒それぞれの先に仕事があること。移動が経費に。

・会いたい人に会って楽しめる生活(歌い遊び飲んで食って時にセックスして)

・子供がたくさんいる生活(子供に関してはもはや一夫一妻でなくて良いと思っている)

・丈夫な身体とオシャレな身なり

…なんにせよ、金がいるんだわな。稼ぎ方は正直何でもいいと思っている。本気を出した時にどこまでいけるんだろうという感じはする。適当でいい。

 

人は生きるだけで迷惑なわけで、それに輪をかけて迷惑をかけるのであれば対価はさらなる社会貢献でなくてはならない。高額納税でもいいし、俺はそれはあらゆる公共の福祉・社会インフラへの貢献度だと思っている。好き勝手やる代償は、常に社会に還元したい。

 

なんだろうね、強欲の塊のような人間だから、全てを手にするか全て失うかになるだろうか。だが、決して、これだけは気をつけたい。生きていること、生かしてもらっていることへの感謝。俺が今この生活でしていることはその一端であること。まぁそれを担わせてもらっていることも付与された機会と言えなくもないが、とにかくだ、真摯にやることが大事であって、手を抜かない。

 

まぁどうせ手なんか抜けないんだけどな。

検討

今日は辛い。

 

大した欲もなく生きているので、順調にいけばあと2年ほどで政府の言う老後の資金には達するが、人生としては子供もなく家族もなく、仕事もキャリアも大したことがなく、趣味も中途半端、ほかに取り柄もなく、狭い家に独りで暮らし、世界にとって何にもならない人間となってしまった。

 

友人ってのはいつ何時まやかしに過ぎないし、恋人というものもそろそろ見つかりづらくなっているのは感じる。

 

いやまぁ、前向きな力が持てないのは毎年この時期特有のもの。2〜3月はダメシーズン。わかってはいるが、辛い。

 

身体を鍛えたり、趣味に力を入れたり、人と遊んだり、何か楽しく過ごすことをしたいが、ダメなんだよな。

 

社会保険料がエグいくらい上がって、ちょっと生きるのがだいぶ辛い。

 

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調べたところ、結論100万くらいで平穏な生活が買えそうではある。

 

残業は、1日1時間までがやはり限度で、今はだいぶやり過ぎてると思う。現状の5〜6時間残業生活には無理がある。パフォーマンスも落ちている。

 

来月からはやはりペースを落とす必要がある。残業20時間くらいというあたりがちょうど良さそう。これによる減収が100万程度(社会保険料の増分50万と減収50万)だから、100万で平穏を買うのだ。

 

また、収入のうちの90万は補助でこれも再来年からなくなる。そうすると生活は正直苦しくなるので、どこかやはり別収入を検討すべき。空いた時間をただ余暇にするではなく、研鑽と収入を得る手段に充てたい。