30代独身「無論、持論」

元大卒フリーター。あらゆることに手を出した結果、何もできない人になった。

最悪の評価

一生懸命にやっていることに対し、サボっている・適当なことをしているという評価をされることはなんと腹立たしいことか。

が、わかっている人はわかっている。その、適切な評価をしてくれる人こそ大切にすべきだし、その人らの信頼を裏切ってはならぬと、それだけには細心の注意を払うことを自戒の念として書き留めておきたい。

掴みかかったり殴ったりするのは想像上に留めておこう。相手は老人だから下手したら最悪冗談ではなく死んでしまう。それでは誰も得をしない。

クソジジイどもの、老い先の短いあのカスどもの言うことは放っておいたらいい。それはわかるが、どうにも腹が立つし、それを援護してくれる人がいない状況は辛くてたまらない。

 

だからこそ、今日、あの援護をしてくれた人々のことは決して忘れないようにしたい。あの言葉で救われる。おべんちゃらではなく、客観的な、しかし熱意のある言葉。

 

案外上司が弱腰であったのも期待外れで悲しいところではある。なんだろう、そんなに俺が悪いというならば俺はもう降りたい。もし自分の部下が理不尽に晒されることがあれば、それを守る立場に立ちたい。

 

思えば、援護したり守ったりする人というのは存外少なく、なんなら幻想なのかもしれない。皆、我が身のみ可愛く、自ら窮地に立ちに行く人は奇特であるのだろうか。

場合によっては、守ると口では言い、また守るフリをして追い詰める不届き者等もいる。万死に値する。

 

例え評価されなくとも真摯にやり、その中で正当な評価をしてくれる人を大切に、そしてもし援護・庇護してくれる人が現れたならば、その人のために恩返しができるようになりたい。

 

これが、自分の中の清い心だろう。大切にせねばならぬ。争いはあっても、他を傷つけ過ぎることのなきよう。